スピッツの刺激

その2:キュージューキューイーピーというEP盤について

1999年元日というめでたい日に、スピッツ初のEP盤CDが発売された。わたしがこのEP盤の発売を知ったのは昨年11月の終わりだったが、そのころはなんの深い意味も知らずにその知らせをよろこんだ。

スピッツが新しいことに挑戦しているのはファンとしてとてもうれしいものだ。だけど、どうしてEP盤?とかそういうことを考えると、とてつもない深い意味が潜んでいるのではないかという気持ちになってしまう。考え出すときりがない。

EPというものの定義がタワレコのフリーペーパー『TOWER』(NO.49 タワーレコード)に載っているので引用しよう。「エクステンデット・プレイの略語。かつて、17cmのレコードの両面に1曲づつのナンバーを収めたアナログ盤をシングルと呼んだのに対して、同じ17cmのレコードに3曲、または両面2曲づつの4曲を収めた盤をEPと呼んでいた(略)そのEPの特徴というのは、収められたナンバーが他の曲より少しだけ比重が高いことはあるが、シングルのようにA面曲・B面曲という主従関係ができてしまうケースは、極めて少ない。だからEPには、1曲目に収められている曲のタイトルとはまた別に、EP全体としてのタイトルがつけられていたりする。つまり、LPでもシングルでもない、その中間的な役割を果たすのが、EPというちょっと可愛いメディアなのだ」(P.7)

それを前提として考えよう。タイトルを『99ep』と曲名とは異なるものにした理由、これはJAPAN掲載のインタビューを読んでもわかるように、単純に「3曲」を平等に聴いてほしいから、一つの曲のタイトルで3つを括りたくなかったから(大体こんなこと言ってた)というまさにEP盤の特徴(長)を活かすものであるが、その作品を聴くファンにとってはいろいろと思い悩まされる部分もあるというもの(わたしだけかも?)。 

わたしはこのEPに収められている3曲をCDを購入するずっと前にラジオで聴いていた。そしてもちろんカセットに録ってくり返し聴いていた。ラジオでその3曲が平等に扱われようとするならば、その3曲ともが同じだけ流されないといけないのではないだろうか。つまり、「ハイファイ・ローファイ」が流れたら、当然「魚」や「青春生き残りゲーム」も同様に流されなくてはならないし、その順番も平等に流されなければならない。ややこしいけど、つまりはそこまでのこだわりかどうかということ。

CDに収められた1曲1曲を平等に扱わせることはとても難しいことだ。たとえば、「冷たい頬」や「スピカ」はそのカップリングをそれと同等に扱わせるために「両A面扱い」にされていたらしいけど、「冷たい頬」のカップリング「謝々!!」はラジオであまり流されることがなかった。それはつまり、ラジオの音楽番組などでは「冷たい頬」をA面扱いとしていたということになるのかもしれない。わたしが偶然耳にしたあるラジオ番組での、きょーれつなDJの発言が耳にこびりついて離れない。

「それではリクエストです。××市の○○さんからスピッツの『謝々!!』にリクエスト頂いてますが、今日は『冷たい頬』を聴いていただきましょうね」〜イントロはじまる

なんでやね〜ん。このショックは大きかった。もちろん「つめほほ」もいい曲だしすきだけどさ、「謝々!!」も同じくらいすきなのよ。リクエストが「謝々!!」にきているのに、どうして「謝々!!」を流してくんないのかなぁ。もう嫌がらせとしか思えなかった。ラジオにもラジオの都合というものがあるのかもしれない。裏でなにかあるのかもしれない。でも聴いてる方にはそんなこと関係ないのだ。そういうリスナーをがくっとさせるような発言は慎んでもらいたい。ってなんかラジオ番組への抗議文みたいになってきているけど、つまりはそういう事態がおこりうるってこと。

作り手(制作側)の意図に反する、媒体がリスナーに与えるうるそういった影響も考えなくてはいけないと思う。例えば、NHKのミュージックスクエアという番組では、3曲が3曲とも続きに流された(順番はCDと違うけど)。そういうふうに扱われていくのが作り手の意図であると思うし(違ってたら的外れだけど)、ファンもそれが作り手(=スピッツ)の意識として伝わってくるからうれしい。他のアーティストには時間を3倍使ってしまって申し訳ないけれど、「スピッツはこう行く」という姿勢をあらわすためにはそこまで考えていかないとダメな気がする。みんな考えてる?

というようなことを漠然と考えている。でも結局各々の曲がバラバラと流されるんだろうな、意図に反してしまうんだろうな。

(2 Jan 1999 komako)
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